
愛知県の尾張・三河地方では、ひな祭りに「おこしもん」という祝い菓子を食べる風習があります。3月3日が近づくと和菓子屋さんなどに並びますが、もともとは家庭で作られてきたもの。
愛知ならではのひな菓子、おこしもんを紹介します。
米粉で作る祝い菓子
ひな祭り間近の日曜の朝。名鉄・本星崎駅からほど近い米店「米久」には近所の人達が集まり、おこしもん作りが始まっていました。米久店主の柘植幸治さんにお話を伺いました。
「米粉をお湯で練り、木型に押し付けて型おこしをすることから、おこしもん、おこしものと呼ばれるようになりました。木型を使うのが特徴です。祝い菓子なので鯛や松、宝船など縁起のよいモチーフが多いですね」。
柘植さんは、笠寺とよばれるこの地域の歴史を学ぶ勉強会を開いたり、途絶えていた山車祭りを復活させるなど、長年に渡って地域の歴史や伝統を伝える活動をしています。毎年この季節になると、名古屋市博物館でおこしもん作り講習会の講師も担当。
「詳しい歴史は分かっていないのですが、江戸時代には作られていたようです。僕の持っている古い木型の中に、寛政7年(1795年)と記されたものがあります」。
おこしもんが作られているのは愛知県全域ではなく、安城市から刈谷市など旧東海道沿いの地域と、名古屋市内では緑区、南区、瑞穂区、昭和区のあたり。
「ここ南区のすぐ隣ですが、熱田では見られませんね。西区浄心、津島、甚目寺、そして知多のあたりでも作られているようです。おこしもんの風習は、昔の街道沿いに広まっていったのではないかと考えられています」。
柘植さん所有の古い木型コレクション。風情がありますね。昔は落雁など和菓子の木型を参考にしていたようです
「米久」を営む柘植幸治さん(左)と、友人の福井勝昭さん(右)。「石川文庫 清寂庵」とは米久の敷地内にある建物の名前です。以前ここで郷土史を教えてもらった愛知県立大学教授の故・石川清之先生にちなんだもの。町の集会場として、地域の人に開放しています楽しい型おこし
おこしもんの材料は、お米を挽いた米粉だけ。米の風味をいかすため砂糖などは加えません。
「昔は“しいな”と呼ばれるくず米を利用していました。もったいないという、日本ならではの価値観が反映されていると思います。木型も昔は端材を使っていて、これも物を粗末にしないという考えからでしょうね」。
生地作りを見せてもらいました。米粉に熱湯を少しずつ加えて混ぜ、耳たぶくらいの固さになるまでよくこねます。力の要る作業ですが、この日はすべて柘植さんの友人の福井さんが担当。

さらに手でよくこね、生地が完成。耳たぶくらいの固さが目安
生地を丸めた団子に小さくちぎった色生地を載せ、打ち粉用の米粉をまぶしてから、型にぎゅうっと押し付けます
木型をたててトン!と叩き、型から外します。色生地のアクセントがかわいらしいおこしもんが出来ました
米粉は米を洗って陰干しし、製粉機で挽いて作ります。金網で漉せるようになるまで何度も挽くというから大変な作業です。「昔はどの米屋さんもやっていたんだけどね。今は少なくなりました」と柘植さん。昔ながらの石臼挽きの細かさにこだわり、50年以上前の製粉機を使っています