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廃業寸前から一転!若き6代目が情熱をかけて 酒造りに挑む「大塚酒造」
2013.01.16 更新

自作自慢のハツシモで酒造りを楽しむ

池田町から谷汲山華厳寺に通じる巡礼街道沿いにある大塚酒造

見知らぬどうしの仲を取り持つのもお酒の魅力

師走の声を聞いてまもない12月2日(日)、
岐阜県の西北部・揖斐郡池田町の谷汲街道沿いにある「大塚酒造」では、
岐阜県の特産米ハツシモを原材料にした純米仕込みの新酒「初霜」の完成を祝う宴と経過報告会が催された。
ハツシモは大粒で晩稲(おくて)。霜が降りる頃に収穫されることからこの名がついたといわれており、
岐阜県内でも岐阜市周辺と西濃地方でしか栽培されていないため、「幻の米」とも呼ばれている。
西濃地方でハツシモを原料とする酒造りが始まったのは昭和53年ごろ。
最初は5社が手がけたが、飯米であるハツシモは粘りが強く、放冷するとモチのように固まってしまったり、
機械に入れるとくっついて取れないなどの難点があったため、4社は次々に撤退。
今では大塚酒造だけが、すべての工程を手作業で「初霜」を造っている。
「大塚酒造」ではここ数年、ハツシモを使った
「あなたのお米をおさけにしませんか」という取り組みを行っており、今年で第6回目を迎える。
ハツシモ1俵と1万円を一口として、清酒(1.8リットル換算)を12本受け取ることができる。
米を栽培していない人でも、その分現金で支払えば申し込みが可能だ。
今年度は35名の参加があり、玄米俵数にすると65俵が原材料米として集まった。
この日の宴は酒蔵の2Fの座敷で行われた。
蔵元である大塚清孝さんのあいさつに始まり、
今後の仕込みの予定や経過報告について説明を受けた後、にぎやかな宴会が始まった。
手作りの甘酒やおでん、差し入れのコンニャク、漬物などつまみもたっぷり。
宴たけなわになるほどに、ほろ酔い加減で隣席の参加者どうしが親しげに語らう様子も見られ、
和気あいあいとした温かな雰囲気の楽しい催しだった。
1月12日(土)には新酒の試飲会が開催される。

巡礼街道沿いにたたずむ小さな酒蔵

大塚清孝さんと妻の由美子さん

新酒の仕込みをする六代目・大塚清一郎さん(右)と妻の亜希子さん

水が良いことで知られる岐阜県西濃地方にあって、「大塚酒造」は池田町唯一の造り酒屋だ。
蔵人は清孝さんと妻の由美子さん、杜氏でやがて6代目を継承する清一郎さんと妻の亜希子さんという、
文字通り家内制の小さな蔵元である。
清孝さんに「大塚酒造」の歴史を聞いた。
「うちの先祖は元々大垣市の久瀬川町にいて油を搾っていたらしいです。
ところが牧田川や杭瀬川の氾濫によって油が流されたため、
明治17年に当時旅人達が立ち寄る花街として栄えていた現在の場所に移って店を始めました。
造り酒屋になったのは明治19年。最初は『清松正宗(せいしょう まさむね)』という酒を造っていました。
『清松』は、初代・清太郎の“清”と妻お松の“松”をとって名付けたもの。
『正宗』は名刀”正宗にあやかり、キレのいい酒ができるよう願いを込めたのだそうです」
清孝さんは全国で唯一“醸造”に関する専門教育機関のある「東京農業大学」の醸造学科を卒業した後、
京都伏見にある「富翁」の蔵元「北川本家」で2年間修業し、実家に戻ってきた。
「初代から細々と酒造りを続けてきましたが、昭和25、6年ごろにうちは未納税移出の蔵に変わったんです。
つまり、お酒の足りない大きな蔵が小さな酒蔵の酒を買い上げ、
自社ブランドとして出荷・販売するのです。
当時、地方の小さな酒蔵では、そうすることで糊口をしのいでいました。
11月初めになると、新潟から杜氏や麹屋、精米屋など6人ほどがやってきて、
3月下旬ごろまでうちで寝泊まりしながら酒造りをしていましたね」と清孝さん。
つまり、小さな蔵にとって大手の経済的後ろ盾があるということは有利な反面、
そのために大きな蔵の下請けと化し、蔵元としての誇りや個性を奪われた状態であったことは否めない。
ところが、この体制が大きく崩壊する時が訪れた。日本酒の需要が伸び悩み、
大手が契約を打ち切ってきたのである。昭和64、5年のことであった。

閉蔵の危機を救った丹波杜氏(たんばとうじ)

丹波杜氏の原田利治さん(手前)。お酒を醸すことが何より好き

酒をしぼる槽の中にもろみの袋を入れて、上から蓋をしてじっくりと圧搾する。
昔ながらのやり方を忠実に守ることで、ほかでは味わえない酒ができる

食米ハツシモを原料にして造られた「初霜」と大塚家の家紋にちなんで名付けられたという「竹雀」。
「竹雀」は「山田錦」や「五百万石」といった酒造好適米を原料としている。
飲み比べてみると、両者の味の違いがわかって興味深い

「大塚酒造」にも時代の波は押し寄せてきた。酒を造るだけでなく、
地元で年間100石(約1万本)ほど小売りの商いもしていたため、
少しは収入もあったが、どのみち先細りである。
さすがの清孝さんも、もう辞めようかと思ったという。
そんな時、助け舟を出してくれた人物がいる。
当時、大垣市にあった「五明酒造」(現在は閉蔵)にいた丹波杜氏の原田利治(としはる)さんである。
原田さんは伏見の「月桂冠」や灘の「白雪」の蔵元「小西酒造」、熊本は「美少年」の蔵元「火の国酒造」、
また上海でも酒造りをしてきたというベテランで、
「わしが両方(「五明酒造」と「大塚酒造」)見たげるで、
酒造りをやりなさい」と弱気になっていた清孝さんを励ました。
原田さんは現在83歳。
今では杜氏を勇退して故郷丹波で黒豆を作っているが、酒の仕込みの季節になるとやってきて、
清一郎さんたちを指導してくれる「大塚酒造」には欠かすことのできないブレーンの一人である。
12月2日も出席し、そのときのエピソードを紹介され、照れくさそうに笑っていた。

起死回生の自社ブランド「竹雀」

(左)とても珍しい大塚家の家紋「竹雀」。 (右)酒蔵

酒蔵に祀られている神様

「大塚酒造」には「初霜」のほかにもう一つ有力な自社ブランドの酒がある。
それが「竹雀」だ。杜氏である清一郎さんが一から開発した製品で、今年3期目の仕込みを迎える。
「大塚酒造」にとっては全国に打って出る起死回生の酒である。
清一郎さんは父清孝さんと同じ「東京農大」の醸造科を卒業後、
三重県の蔵で2年間酒造りについて学んだ後、帰省。新しい酒造りに挑んだ。
「竹雀」は「初霜」とは異なり、
「山田錦」や「五百万石」といった酒造好適米を使った純米酒で、香りが良く、料理との相性も良い。
清一郎さんが命名した「竹雀」は大塚家の家紋に由来する。
「清一郎は大学を卒業するまでずっと剣道をやっており、
胴に家紋の『竹雀』をつけて戦っていました」と、清孝さん。
そのへんのいきさつについては、清一郎さんの妻亜希子さんが書いているブログ
「はばたけ すずめちゃん!!!(純米酒 竹雀)」に詳しいので、ぜひ読んでいただきたい。
現在「竹雀」を置いている店舗は、岐阜・大阪・東京に十数店舗あり、徐々にその旨さが広まりつつある。
「かつて全国に3600軒あまりあった蔵元も、
今では1000軒ほどに……うちは小さい蔵やけど、メーカーになって大手ではできない酒を造っていきたい。
なんとかこれからも家族で酒造りができるよう頑張りたいです」と話してくれた清孝さん。
厳寒の中、今日も大塚酒造の酒蔵では寒さと闘いながら全国にはばたく酒造りが行われている。

編集員のココがオススメ!

 大塚さんのお話をうかがって、これまで日本の地方の酒蔵が歩んできた歴史がとてもよくわかりました。最盛期の3分の1ほどに数は減ってしまいましたが、これからは酒蔵も地方の時代ではないかと強く感じました。蔵人4人という小さな蔵ながら、地元の人々に支えられ、自社ブランドの誇りをもって全国にはばたこうとしている取り組みがすばらしいと思います。

(取材・記事作成:松島頼子 撮影:雨宮明日香)

施設情報

施設名 大塚酒造株式会社
住所 岐阜県揖斐郡池田町池野422
TEL& FAX TEL:0585-45-2057
E-mail otuka-kiyomatu@tmt.ne.jp
URL 大塚酒造株式会社 岐阜県の初霜(はつしも)米で酒造りを楽しもう。
ブログ はばたけ すずめちゃん!!!

2012年12月2日現在の情報になります。

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