中部を動かすポータルサイトDochubu

トップページ 今月の特集 地元食を旅する DoChubuピックアップ アーカイブ

DoChubu

大垣産の米で、大垣の先賢ゆかりの酒を造る「三輪酒造」
2013.05.31 更新

大垣船町の老舗蔵元「三輪酒造」

大垣市船町にある三輪酒造

大垣駅から車で5分ほど南に下った所にある船町(ふなまち)は、
その名が示す通り、かつては多くの船が行き交う川湊のあった場所である。
俳聖・松尾芭蕉が「奥の細道」の旅を終えた「結びの地」としても知られており、
昨年には「大垣市奥の細道むすびの地記念館」がオープンした。
また、東海道と中山道を結ぶ美濃路の宿場町でもあり、近代化したJR大垣駅周辺とは異なって、
先の大戦で空襲を免れた古い家並みや土蔵が残っている。
その一角にあるのが、造り酒屋「三輪酒造」だ。

創業は天保8(1837)年。
石津郡多良松ノ木(現・大垣市上石津町三ツ里)から徳次郎が大垣に出てきて船町に店を構えた。
屋号は「澤田屋」というが、
これは大垣に来る前に養老の沢田にある日比家に奉公していたことに由来する。

「三輪酒造」の主力ブランドは純米にごり酒「白川郷」である。
西濃にあるのに、なぜ奥飛騨の「白川郷」を冠した酒を造るのか。
それは、現社長・三輪高史さんの父・春雄さんが元白川村の村長である和田氏より、
白川村の「どぶろく祭り」で売れるどぶろくを造ってもらえないだろうかと依頼されたためだ。
「純米にごり酒白川郷」は日本だけでなく海外でも評判が良く、いまや世界にその名を知られている。
しかし、実は「三輪酒造」には地元大垣産の米を使い、
大垣の先賢にちなんで造られた酒があることはあまり知られていない。
その名を「バロン鉄心」という。

三輪酒造の北蔵・南蔵は国の登録有形文化財(建造物)に登録されている。これは南蔵。
明治20年(1887)上棟の貯蔵蔵で、高さの異なる3つの棟が続いており、
いちばん高い部分は3階建になっている。
2つの蔵は明治24年の濃尾大震災にも耐え、今日も現役として使われている。

藩老・小原鉄心が愛した「澤田屋」

5代目三輪広吉が高名な彫刻家に頼んでつくってもらった小原鉄心の胸像と「バロン鉄心」

「鉄心」とは幕末から明治初期にかけて活躍した大垣藩藩士・小原鉄心をさす。
小原家は代々城代を務めており、鉄心は家老ではなかったが
「藩老(藩の老臣)」と呼ばれて藩主の信任もあつく、
西欧文明や大砲の導入など、幕末の激動期にあって大垣藩の藩政改革を断行。
時代の流れを読み、佐幕派であった藩を尊王派へと転換させた。
そんな鉄心がこよなく愛したのは酒であった。
中でも「澤田屋」は鉄心のお気に入りの酒屋で、
初代徳次郎はせがれの吉平を鉄心の秘書役としてつけたほどであった。
大垣藩は「鳥羽伏見の戦い」では佐幕派の急先鋒であり、
鉄心の養子となっていた兵部が藩兵を率いていたが、吉平は相撲取りと共に戦いを止めるよう、
兵部に告げる使者として使わされたという話が伝わっている。

「鉄心さんは絶えずうちへ飲みに来ていたようです。
酒の席でひそかに重要な政談などを交わしていたのではないでしょうか。
慶応2年に大垣から江戸へ旅をした時の日記には、30cmの大杯を持って歩き、
毎晩飲み歩いていたにもかかわらず、二日酔いはしたことがなかったそうです。
『澤田屋』に『萬家醸春楼』(まんかじょうしゅんろう・よろづの家に春を醸す館)と
名付けてくれたのは鉄心さんです」と、高史さんは語る。
鉄心は明治に入って新政府のもとで要職に就き、
明治2(1869)年には大垣藩代参事に任じられているが、
同5年、病を得て享年56歳で亡くなった。酒を愛し酒に愛された人生だった。

7代目で社長の三輪高史さん(左)と8代目の研二さん。
夏には酒蔵を舞台にイベントを行う予定。「ほかの蔵では見られないものをやりたいですね」と研二さん

大垣の米を使って醸された「バロン鉄心」

(左)酒をしぼるふね (右)手絞りの機械

(左)仕込みタンク (右)瓶詰めされ、蔵で静かに出荷を待つ「バロン鉄心」

「バロン鉄心」の原料米を生産する大垣市上石津町時地区の
「ときの輝生産組合」の江口寿明(えぐち としあき)さん。品種は「ひとめぼれ」。
有機肥料で減農薬の米は、「非常においしい」と評判。右手の田んぼが「バロン鉄心」となる「ひとめぼれ」

この後「三輪酒造」では、5代目・三輪広吉が上等萬家春を醸し、清酒「鉄心」と命名。
広吉は小原鉄心没後70年を記念して、当時の著名な彫刻家に頼み、鉄心像を作らせた。
この像は大垣藩の藩校があった「興文小学校」と「三輪酒造」に現存している。
さらに時代が下る事70年、「三輪酒造」では創業170年、小原鉄心没後140年を記念し、
鉄心顕彰の意味も込めて「バロン鉄心」という酒を造った。
「バロン」とは「男爵」を意味し、鉄心の功績を称え、
明治33(1900)年、彼の子孫に男爵の爵位が授けられたことによる。
当時、原料米はまだ大垣産の米ではなかったが、
その2年後、合併して大垣市となった上石津の米に切り替わった。
これには「三輪酒造」8代目となる三輪研二さんの力によるところが大きい。
「大垣青年会議所」が推進していた「ふるさと真生」事業の最後の責任者であった研二さんは、
上石津出身で現在大垣市議会議員を務める田中孝典さんや、
上石津時地区のときの輝生産組合の方々の尽力もあって、上石津で農業体験を3年間続けた。

「田んぼに米を植えてそれを収穫して食べることを子どもたちに体験させることで五感を刺激し、
こんなすばらしい体験ができる自分たちのふるさとを大切にしたいという思いと、
そのふるさとのために働きたいという思いを醸成することが目的でした」と研二さん。

しかし、ここで一つ問題が起きた。せっかくつくった米の販路が見つからない。
そこで研二さんはその米をもらって「地産地消」を訴えかけるイベントなどに使っていたが、
「三輪家は元々上石津の出身。
3年間米をつくってきて自然の豊かな素晴らしい場所だということもわかったので、
上石津地域の活性化に貢献するため、上石津町時地区で作られたお米を原料に、
大垣の先賢で三輪家にもゆかりの深い小原鉄心にちなんだ酒をつくってみようと、
ときの輝生産組合の方々に相談しました」という。
ときの輝生産組合では酒米は作っていない為に飯米の「ひとめぼれ」にて挑戦することとなり、
造りの難しい面もあったがそれは長年培った技術力でカバーし、
ここに大垣の米と水を使った本当の意味での地産地消の酒が出来上がった。

「『バロン鉄心』は『白川郷』とは異なり、大垣以外の場所での販売というのはまだ考えていません。
いわば、大垣に来ないと飲めない地域限定の酒です。
地域の人が地域のものを愛さない限り、地産地消は成り立ちません。
大垣の魅力の伝道師として地域に愛される酒であってほしいと願っています」
夏にはほかの蔵元では見られないような、素敵なイベントを開催する予定だという。

鉄心の別荘「無何有荘」に造られた「大醒榭」(たいせいしゃ)。
和風に中国風のデザインを取り入れた瀟洒な設計で、多くの志士や学者、
詩人らと天下を論じていただろうと思われる。
現在は、「大垣市奥の細道むすびの地記念館」内に移築・保存されている。

編集員のココがオススメ!

大垣の老舗蔵元「三輪酒造」。大垣の水と米を使って醸す酒「バロン鉄心」は幕末、藩政改革などを行い今も先賢と称えられる小原鉄心にちなんだ酒。とても物語性のある、水都大垣を代表する銘酒だと思います。今回、そのエピソードもじっくりと聞くことができました。ぜひ、物語に思いを馳せながら、じっくりと一献傾けていただきたいお酒です。

 

(松島頼子)

施設情報

名称 三輪酒造
住所 大垣市船町4-48
TEL&FAX TEL:0584-78-2201
FAX:0584-81-2065
E-mail info@miwashuzo.co.jp
URL 株式会社三輪酒造

2013年5月8日現在の情報になります。


▼お店の場所を見る

トップに戻る
トップに戻る